映画の構想を私が広河さんに持ちかけてから5年、広河さんの取材そのものはその遥か昔から40年
ようやくその一部が形になり、劇場版の映画として完成しました。
日本の一般の方たちの多くの支援によって、すべて寄付で制作されました。
2時間に収めることは正直難しかったけれどそれでも、広河さんの目線で追った彼の地の壮大な記録を、ほんの二時間だけでも映画を通して覗いてみてください。
「パレスチナ1948 NAKBA」
http://nakba.jp/index.html
6/28(土)~7/4(金)12:10/16:35
7/5(土)~7/11(金)10:10
[2008/日本/2時間11分]
監督・撮影・写真:広河隆一
公式ホームページ →→→ http://nakba.jp/
パレスチナの問題をニュースなどだけで観ているとパレスチナの人々が何と闘っているのか、何故この問題が解決しないのか、私たちには見えてきません。
それに長すぎて、遠すぎて、関心を持ち続けるのも困難です。
でも一度でもパレスチナの人々の思いに触れると心が奪われてしまいます。
占領下のあまりにも厳しい状況に・・・だけではありません。
難民となり、占領下で暮らし、彼らが何を失ったのかを目の当たりにして。
パレスチナの人々の、長年土地に根ざし、脈々と綴ってきた暮らし。
土地の権利ではない。
宗教でもない。
土や風の匂い、光、湧き出る水、オリーブの木、オレンジの木、イチジクの木、泉に群れるクレソン、ミント、セージ、鳥や動物たち、その土地に根ざし1000年も2000年も変わらず続いた先祖や家族とのシンプルで生産的な暮らし。
その安定した感じ、豊かさへの思い。
それを手放すまいと闘っているのだと。
長い占領下でも持ちこたえている強さはどこから来るのかも。
ナクバによって建国されたイスラエルは、何故現在までナクバを繰り返さなくては存続できないのか。
その悪循環、現実に真っ直ぐ向き合い苦悩するユダヤ人たちも登場します。
映画の最後、失われた自分たちの村の跡地を訪問する、あるパレスチナの難民家族は、村に到着するなりイチジクを頬張り、泉の水を飲み、クレソンを摘み、光を仰ぎ、歌を歌い、踊りを踊ります。
その思いを知ることは、私たちにとってこの問題をみつめる時に大きな意味があります。
その思いを知らないまま和平は語れません。
活気のある金沢、北陸のみなさんのところにこの映画が早くも登場すること、本当にうれしく思います。
関係者の方々、いろいろご尽力ありがとうございます。
是非多くの皆さんに観ていただき、たくさんのご感想をお知らせいただけますよう、よろしくお願いします。
製作をご担当の森沢典子さん、某ピースなMLへの投稿より。